2007.03.31 Saturday
子供の頃吉祥寺に住んでいて、父親の会社の社宅のアパートに大体25世帯ぐらい住んでいたので、同じ年頃の子供がゾロゾロいました。
で、夏休みや春休み、冬休みというと、子供同士5〜10人ぐらい(付き添いの親達も最初のうちはいたことがあったかも)で吉祥寺駅の東側にあった東宝へ怪獣映画や若大将シリーズなんかをよく観に行ったものです。
ところでこの怪獣映画や若大将シリーズなどなどは、必ず何かもう1本と併映で、それが森繁の喜劇駅前シリーズや、植木等の日本一の何とかシリーズだったのです──これらのどれがどう組合わさっていたのかはまったく憶えておりません(笑)が、知らないうちに植木等の、無闇に明るく常軌を逸してテンションの高い元気すぎる映画をけっこう何本も観ていたのでした。
それがまた子供心にもやたらと面白かったのだけはしっかり憶えています。
例えば、森繁久弥の駅前シリーズはまあ大人向けの艶笑喜劇ですから、小学生のわたくしなんぞは伴淳三郎の表情とかを「何かヤラしいな〜」とか思いつつ多少は笑っても、そんなにピンと来ないまま、その後の怪獣映画を観るためにじっとしてなきゃあ(笑)いけませんし、その当時はけっこう喜んで観ていた若大将シリーズだって思春期過ぎてからは「とてもじゃないが観てられない、ガキだったとはいえよくあんなのを観てたもんだ」と思ってしまったぐらい(今観れば、また別の意味で結構面白がれるかもしれないけれど)で、結局昔も面白く、若い頃でも楽しめ、今観れば(あ、昨日TVで『日本一のホラ吹き男』を久しぶりに観ました!)あっちゃこっちゃ突っ込みながら大笑いをしているという……。
植木等という人は、ホントに凄いです!
真面目な顔をしていても、常にどこかに笑いを含んでいるような表情──アルカイック・スマイル?──でどんな事があろうとまったくめげない、ただただパ〜ッと明るい顔って、実際珍しいんじゃないでしょうか。やっぱり何と言っても、あの黒々したクッキリした眉毛と眼、そして口元……って、それじゃ顔全部ですね。あんまり他に思い当たらないです。どんなに自信満々でエラそうなことを言い放っても、この人が言えば全然まるっきり厭味がなく、不快感など微塵も感じさせないのですから。そして必ずやってしまう行動力の気持ちの良さ。
確かに昨日は、最初ジャージを着て歌い踊りながら出て来た瞬間、いくら何でも大学生にしては老け過ぎだなあ〜、そもそもポマードであんなに頭をガッチリ固めてる大学生なんていたのかと取り敢えず文句を思い浮かべつつも、何かあのワケの分からないパワーに引きずり込まれて行っちゃいます。
あれよあれよあれよという間に、ホントにスイスイスイーダラダッタというテンポでどんどん進んでしまうので、もうその流れに乗ってこちらは運ばれて行くだけ。踊っても、勢いよ過ぎて顔が切れちゃったりしてもどうってことない、ちゃんと最後にはカメラに向かってニカッとポーズを決めるのだから──「気〜にしない、気〜にしない!」──う〜ん、根暗なわたくしなんぞはホントに見習わなければいけないなあと……(笑)
「はーはっはっは。まとめて面倒みてやろう!」
「分かっちゃいるけど、やめられない」
「金のないヤツあ俺んとこへ来い、俺もな〜いけど心配するな」
「そのうち何とかな〜るだろう〜」
新聞記事などで前からよく見かけたのは、実際の人柄はすごく真面目な人だったそうですね。そういう人があそこまで思いきって突き抜けた明るさを映画でもTVでも画面いっぱいにというより溢れそうに放っていたのは、つくづく凄いとしか言い様がないです。
そんな方が亡くなって、また懐かしの昭和三十年代がより一層、遠く遠〜くなって来ました。慎んで合掌。
そうそう、その三十年代のわたしには、吉祥寺駅東側の東宝映画館が世界の果てだったのです。一体どうして何だか、そこより向こうには世界がなかった──中央線に乗って新宿や後楽園のアイス・スケート場に何度も行ったりしていたのに、そのもっと向こうに新宿や東京駅があるという認識を持てず、それとこれとは繋がらないで、途切れていたらしい(笑)……です──子供の意識って不思議です。どうなってたんだろう……。
で、夏休みや春休み、冬休みというと、子供同士5〜10人ぐらい(付き添いの親達も最初のうちはいたことがあったかも)で吉祥寺駅の東側にあった東宝へ怪獣映画や若大将シリーズなんかをよく観に行ったものです。
ところでこの怪獣映画や若大将シリーズなどなどは、必ず何かもう1本と併映で、それが森繁の喜劇駅前シリーズや、植木等の日本一の何とかシリーズだったのです──これらのどれがどう組合わさっていたのかはまったく憶えておりません(笑)が、知らないうちに植木等の、無闇に明るく常軌を逸してテンションの高い元気すぎる映画をけっこう何本も観ていたのでした。
それがまた子供心にもやたらと面白かったのだけはしっかり憶えています。
例えば、森繁久弥の駅前シリーズはまあ大人向けの艶笑喜劇ですから、小学生のわたくしなんぞは伴淳三郎の表情とかを「何かヤラしいな〜」とか思いつつ多少は笑っても、そんなにピンと来ないまま、その後の怪獣映画を観るためにじっとしてなきゃあ(笑)いけませんし、その当時はけっこう喜んで観ていた若大将シリーズだって思春期過ぎてからは「とてもじゃないが観てられない、ガキだったとはいえよくあんなのを観てたもんだ」と思ってしまったぐらい(今観れば、また別の意味で結構面白がれるかもしれないけれど)で、結局昔も面白く、若い頃でも楽しめ、今観れば(あ、昨日TVで『日本一のホラ吹き男』を久しぶりに観ました!)あっちゃこっちゃ突っ込みながら大笑いをしているという……。
植木等という人は、ホントに凄いです!
真面目な顔をしていても、常にどこかに笑いを含んでいるような表情──アルカイック・スマイル?──でどんな事があろうとまったくめげない、ただただパ〜ッと明るい顔って、実際珍しいんじゃないでしょうか。やっぱり何と言っても、あの黒々したクッキリした眉毛と眼、そして口元……って、それじゃ顔全部ですね。あんまり他に思い当たらないです。どんなに自信満々でエラそうなことを言い放っても、この人が言えば全然まるっきり厭味がなく、不快感など微塵も感じさせないのですから。そして必ずやってしまう行動力の気持ちの良さ。
確かに昨日は、最初ジャージを着て歌い踊りながら出て来た瞬間、いくら何でも大学生にしては老け過ぎだなあ〜、そもそもポマードであんなに頭をガッチリ固めてる大学生なんていたのかと取り敢えず文句を思い浮かべつつも、何かあのワケの分からないパワーに引きずり込まれて行っちゃいます。
あれよあれよあれよという間に、ホントにスイスイスイーダラダッタというテンポでどんどん進んでしまうので、もうその流れに乗ってこちらは運ばれて行くだけ。踊っても、勢いよ過ぎて顔が切れちゃったりしてもどうってことない、ちゃんと最後にはカメラに向かってニカッとポーズを決めるのだから──「気〜にしない、気〜にしない!」──う〜ん、根暗なわたくしなんぞはホントに見習わなければいけないなあと……(笑)
「はーはっはっは。まとめて面倒みてやろう!」
「分かっちゃいるけど、やめられない」
「金のないヤツあ俺んとこへ来い、俺もな〜いけど心配するな」
「そのうち何とかな〜るだろう〜」
新聞記事などで前からよく見かけたのは、実際の人柄はすごく真面目な人だったそうですね。そういう人があそこまで思いきって突き抜けた明るさを映画でもTVでも画面いっぱいにというより溢れそうに放っていたのは、つくづく凄いとしか言い様がないです。
そんな方が亡くなって、また懐かしの昭和三十年代がより一層、遠く遠〜くなって来ました。慎んで合掌。
そうそう、その三十年代のわたしには、吉祥寺駅東側の東宝映画館が世界の果てだったのです。一体どうして何だか、そこより向こうには世界がなかった──中央線に乗って新宿や後楽園のアイス・スケート場に何度も行ったりしていたのに、そのもっと向こうに新宿や東京駅があるという認識を持てず、それとこれとは繋がらないで、途切れていたらしい(笑)……です──子供の意識って不思議です。どうなってたんだろう……。